異国間交流って意外とラク /アスペルガーの海外コミュニケーション

海外生活のススメ

アスペルガー人に生き辛さを感じさせる特性の中で、自分が海外生活をしていることで緩和されているのではないかと感じているものがいくつかあります。
人によって程度の差はありますが、アスペルガー人で特に僕のような「孤立型」の人間がコミュニケーションの場で失敗してしまうのは、主にこのような特性から来るものが大きいのではないでしょうか。

  • コミュニケーションへの苦手意識が強い
  • 場の空気や暗黙の了解を理解するのが苦手
  • 言葉をダイレクトに受け止めてしまう(行間を読むことができない)
  • 表現が直接的すぎる
  • 共感力が低い

悲しいことに、僕はこれらすべての特性を、結構ハードな形で持っています。どこに住んでいようと、努力をしてまで人と交流したいとは思っていませんし、その気持ちのまま毎日を生きています。
とはいえ、誰にも気にしてもらえない孤独に耐えられるほどの強靭なメンタルは持ち合わせていないので、自分基準の狭い範囲ではありますが、心の扉は少しだけだけど外に向かって開くように日々意識はしています。

その際、接する人の国籍は基本的に気にしていません。
過剰なまでに気にしてしまうのは、相手の出方、この一点のみです。

異国間交流に「暗黙の了解」は存在しない

異国間という、根本的に違う文化のもとで育ってきた人間同士の交流は、
「両者の間に村社会的な暗黙の了解など存在しない」
というところからスタートします。
暗黙の了解が理解できないことで周囲の反感を買いがちなアスペルガー人にとって、これは大きなアドバンテージといえます。

その前提は場面によって良くも悪くも働くのですが、それがあるからこそ、何かを共有したければ、きちんとした言葉や、言語の問題がある場合はわかりやすい態度や行動で表現しようとします。その表現は、母国語同士の会話ではないから常にダイレクトです。行間など入れる余地はありません。
お店の閉店時間に「蛍の光」を流しても、日本以外の国の人にとってはただのBGMでしかありません。帰って欲しいのなら「帰れ」と言うしかないのです。

もちろんこれは「暗黙の了解がない」という前提がわかっている者同士だからこそ成立するものです。そもそもこの前提が受け入れられない人は、どの国の人であろうが、最初から外国人と積極的に関わろうとはしません。外国人に偏見や差別意識を持っている人なら尚更です。
だから、お金や仕事が絡む場合を除けば、日本以外の国籍の人で僕と関わろうとする人は「こちらに対して心を開くつもりがあるかどうか」というふるいにかけられた状態で現れます。
階級意識や暗黙の了解のある同胞同士で繰り広げられるような心理的な探り合いは、異国間交流の開始においてはあまり意味を成しません。
複雑な心理戦が苦手なアスペルガー人にとって、こんなラクなことはないですよね。

「自分に無関心な大多数や自分に対して差別意識を持った存在」というのは、海外に慣れていない人や差別意識が強いといわれる国に行く人にとって恐怖の対象になります。他の国のことはわかりませんが、少なくともここタイにおいては、差別意識が理由で攻撃されたことは今まで一度もありません。避けられることはたまにありますが、外国人に不慣れなだけのケースがほとんどなので特に気になりません。

日本だって、家から一歩外に出れば無関心と差別に満ちています。
しかも暗黙の了解が存在する同胞内でのことだから、更に根が深いです。
実際、日本人である僕が知らない人に何かを尋ねるなどした時に避けられるケースは、バンコクよりも東京の方がはるかに多いように思います。

魔法の色眼鏡「外人フィルター」

この最初の関門を突破した後、さらなる助けになってくれるのが「外人フィルター」の存在です。
それは「外人なのに↑」というポジティヴな驚きと「外人だから↓」というネガティヴな諦めで作られた色眼鏡のようなものです。
これが、アスペルガー人に元来備わっていない「共感力」のハードルを大きく下げてくれます。

それは「不良がたまに良いことをすると、善良に生きている人が良いことをするよりもより良く見えてしまう」という、あの現象に似ています。例えば、敬虔な仏教徒の多いタイで仏教について語ればそれだけで「こいつは分かってる」となりますし、カラオケでタイの曲をタイ語で歌えばどんなにヘタクソでも拍手喝采となります。
まさに「赤ちゃんが立った!」状態です。
相手の文化に触れようとすれば、それが同胞内であればバカにされる程度の浅い知識であっても、大抵のことは好意的に見てもらえるし、場合によっては一目置かれるのです。

一方、不良が喧嘩をしたら「不良だからしょうがないよね」という諦めの目で見られるのと同じように、相手の話やその国の慣習についていけなくても「外人だからしょうがないよね」となります。

よく旅行者が「現地の人がとてもフレンドリーだった」という感想を持つことがありますが、これは「外人フィルター」の効力の賜物です。自分が住んでいる所に置き換えてみればよく分かるのではないでしょうか。現地の人は、旅行者が感じるようなフレンドリーさを同胞に向けることは決してありません。
相手が同胞かそれ以外かでは、交流の仕方が全然違うのです。

始まりがラクなことが何よりのメリット

もちろんこんなラクな状態がずっと続くわけではありません。
「村社会的な暗黙の了解がないこと」と「外人フィルター」という2つの大きなアドバンテージは、異国間交流が始まるその時に最も大きな力を発揮するものです。だからその先の関係を発展させていくためには、ある程度の努力が必要になってきます。

暗黙の了解がない状態からスタートしたとしても、何度も時間を共にして関係が密になっていけば、互いにとっての「あたりまえ」は当然生まれてきますし、心の探り合いはどんどん高度になっていきます。
同じく「外人フィルター」も、時間とともに相手への期待値が増していくことで「ポジティヴな驚き」はその効力を失っていき、その分「ネガティヴな諦め」が膨らんでいきます。
つまり、この2つのアドバンテージは、外国人同士が親友かそれ以上の関係になろうとした時、逆に大きな障害物となって立ちはだかるのです。
相手の奥深くまで知らないまま勢いで国際結婚をしてしまったカップルは、ここで躓くことになります。

実は異国間交流は、深い部分での共感が難しいため、入口は大きいけれどその先は狭いのです。でもそれを恐れる必要などはありません。コミュニケーションの始まりに異常なまでの警戒心を示すアスペルガー人(孤立型)にとって、入りやすいというのは何より大きなメリットだし、互いに越えられない壁があるくらいの距離感で十分満足なのです。

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