「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」 漫画「はじめの一歩」より /アスペの魂が震えた言葉集

アスペの魂が震えた言葉集

夢は叶う系の言葉を真っ向から論破したド正論です。
ボクシング漫画「はじめの一歩」の中で、鴨川会長が世界タイトルマッチの直前に鷹村に向けてこの言葉を発したとき、その場面に引き込まれると同時に、その言葉自体に胸がすく思いがしたのを覚えています。
そして思った。
「なぜこんな当たり前の言葉に今まで出会わなかったんだろう」と。

この言葉の解釈を「諦めなければ夢は叶う」などに代表される「夢は叶う系の言葉」と比べても、目標をもって前進することの大切さを説いているという点ではまったく一緒です。
しかしこちらの方が確実に真理をついています。どんなに努力しても報われるとは限らないことは、誰もが知っているはずです。言葉に何の暗喩もからくりもありません。
それなのに、何故ずっと格言としての地位を確立することもなく「夢は叶う系の言葉」の陰に隠れていたのでしょう。

答えは簡単でした。
夢がないからです。
希望も絶望もない、ただ真実を捉えただけの言葉だからです。
このような言葉は、得てして人が目を向けたくない真実に触れていることが多いから、正しいけれども気持ちがついていかない。それを世間では皮肉も込めて「正論」と呼びます。
そしてアスペルガー人は、大好物の正論でよく場を凍らせてしまうのです。

夢と現実と、アスペルガーの思考

夢は叶う系の言葉は人に希望を与えてくれ、未来への希望は人に活力を与えてくれます。
しかし現実はいつも残酷です。昔描いた夢の通りの自分になっていたとしても、現実は必ずしも自分の思い描いていた理想どおりに回るわけではありません。

アイドルになる夢を叶えた人は、華やかな世界で世間から歓声を浴びている自分を想像しては胸を躍らせていたでしょうが、それと引き換えにプライベートを監視され常に笑顔でいなければならない苦痛は想定していたでしょうか。
医者になる夢を叶えた人は、高給をもらって自分の腕一つで患者を治し感謝される姿を想像していたでしょうが、自分の手のもとで亡くしてしまった患者の無念とその家族の不幸を背負うことは想定していたでしょうか。
大金持ちになる夢を叶えた人は、豪邸に住んで欲しい物を何の迷いもなく買える状態を想像していたでしょうが、それをあてにして群がってくる望まない人との攻防や、財を失う恐怖との闘いは想定していたでしょうか。

ミュージシャンや小説家などを養成するスクールでは、素人のうちにやりたいことをやっておきなさい、とアドバイスをする講師もいるそうです。夢が叶って好きなことや得意なことをライフワークにできたとしても、夢と現実は別物です。必ず存在するネガティヴな部分を受け入れることができなければ、夢は叶ったとしても現実に負けてしまいます。

とはいえ、夢も希望もない状態では充実した毎日は送れません。だから人は「とりあえずいいことしか考えない」もしくは「分かってはいるけれどあえて考えないようにする」というテクニックを使います。
しかしアスペルガー人の場合、脳がそれを許してくれません。

  • 完璧主義がゆえに、物事を深く掘り下げる
  • 超論理的思考による分析力
  • 予想外の展開に対応できないことから来る用意周到さ

といった特性が無意識下で発動して、ポジティヴなものもネガティヴなものもそうでないものも含めた、あらゆる方向から物事を見てしまいます。見ようとしなくても、見えてしまうのです。ものの本質を探るのには有効ですが、これにまつわる対人トラブルも尽きません。
こういう極端な視野の広さは、やる前に結果がある程度予測できてしまうので、人から創造力を奪います。アスペルガー人は創造が苦手で模倣が得意だとよく言われますが、その原因はここにあるのです。
しかも臆病なアスペルガー人は、良いものを得るよりも悪いものを避ける方に意識が行きがちで、それが行動力を奪います。
その結果、変化を好まない保守的な性格になり、大きな失敗をしない代わりに得るものも少ない人生になってしまうのです。

真実は、いつも重要なわけではない

夢を見ている人は、希望という活力を得るために、ネガティヴな部分には敢えて目を向けていません。一方アスペルガー人は、真実を把握するために、ポジティヴな理想だけに目を向けるわけではありません。
つまり、夢を語る人とアスペルガー人の会話は「感情」VS「理論」なのです。この二者の会話は水と油で、なかなか噛み合うことはありません。

周りに迷惑をかけて夢に突き進む人を阻止するなどの目的があるのであれば、アスペルガー人の分析力と直接的な物言いは「現実を見せつける」ことになるから役に立つこともあります。しかし人が夢を語る時、その目的は希望と活力を得るためであり、それが実際にどうなるかはそこではあまり重要ではないことが多いです。聞き手に求められているものがあるとすれば、それは共感と応援なのです。

しかしアスペルガー人は、現実に沿った多方向からの視点で、表も裏も淡々と語ってしまいます。アドバイスのつもりで言っていても、それはアドバイスになっていません。ただ楽しい会話に水を差しているだけです。これでは盛り上がる話も盛り上がりません。
さらに、夢の途中で壁にぶつかっている人に「そんなこと最初から分かってたじゃないか」などと言って、大きな反感を買ってしまいます。

言っていることは間違っていません。その内容については反論の余地がない正論です。ただ、タイトル文のように勝負の世界で勝つか負けるかの瀬戸際にいる人と、飲み屋で将来の夢を語る人では、同じように努力を説くにしても投げかけるべき言葉は違いますよね。
感情論を優先すべき場面で放たれる正論は、ただの暴論と捉えられてしまいます。自分に影響のない他人の希望を打ち砕いても、いいことなど何もありません。
冷めた正論モンスターになりたくないのなら、こういう感情論には乗っかるべきなのです。

現実と対峙している人には、見えているもの全てを伝えてあげたらいい。
でも、私にはできると目を輝かせている人には、君ならできるとだけ言った方がいい。
そのためにはどうすべきか、などということを考える必要はありません。
相手の感情に寄り添うだけに徹した方がうまくいくこともあるということを、アスペルガー人は知っておかなければならないのです。
相手を論破する満足感と引き換えに場の空気を凍らせるより、得られるものはきっと大きいはずです。

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