アスペルガー人は南国を目指せ /海外生活のススメ

アスペが思う海外生活のススメ

僕は現在、微笑の国タイのバンコクに住んでいます。
日本のことは今も昔も大好きですし、海外移住のきっかけは運と出会いとタイミングによるものですが、今となっては再び日本で暮らすことなど考えられないくらい、こちらでの生活に漬かりきっています。

タイという国の文化風習そのものが自分の性に合っているというのもあります。
しかしそれ以上に、ここが南国であることがかなり影響しています。
南国は、アスペルガー人にとってメリットの多い場所なのです。

季節感のなさは、アスペルガー人にとってはメリットでしかない

南国タイに日本のような四季はありません。
一年は、雨が降るか降らないかで「雨季」と「乾季」に二分され、乾季の中に、すごく暑い「暑期」と、気温20度程度の涼しい時期があります。
この涼しい時期は、バンコクでは年に2週間ほどしかありません。あまりにも短いので特定の名称があるわけではないのですが、タイ人はこの期間を「冬(Winter)」と呼び、つかの間の寒さ(涼しさ)を楽しんでいます。

バンコクは日中の気温が30度を下回ることはほぼないので、一年中夏服で過ごせます。家財道具も家電も、日本でいうところの夏用の装備だけで何不自由なく暮らせます。
来たるべき次の季節への準備めいたものは、何一つ必要ありません。日本のように年に4回も服装や装備を変える必要がないのです。
これによって、必然的に生活スペースは効率化され、生活パターンは単純化されるのですから、変化を嫌いルーティーンを好むアスペルガー人にとってはメリットでしかありません。

さらに、感覚過敏があるアスペルガー人でも特に触覚が過敏な人にとって、年中薄着でいられるのはとても大きなメリットです。
薄着は肌にのしかかる感触を最小限に抑えてくれますし、体の動きが大きく制限されることもありません。ましてや外出先で脱いだり着たりする必要もありません。
それが年中続くのですから、それだけでも南国に住む価値があるというものです。

僕は日本にいた頃から、体に密着し動きを拘束するような服は避け、体のラインを完全に覆い隠すほどのダボっとした服を好んで着ていました。
メンズでそれをしようとすると昭和の不良のようになってしまうので、レディースのバギーパンツやワンピースを着ていたこともあります。今思うとこれはちょっとした黒歴史です。
僕はこれを美意識による好みだと思っていたのですが、自分がアスペルガーだと自覚した今では、触覚過敏である自分の体が求めていたからなのだと納得しています。

一年中暑いというのは、四季の風情がないということです。これが寂しいと言う人もいますが、このご時世、今いる場所では得られない風情を感じたければ、いつでも旅行という形でどこにでも行くことができてしまいます。
僕は日本で生まれ育ったので、四季があるからこそ味わえる風情や趣も、四季があるからこその面倒や弊害も、経験として体に染み付いています。
外国にいるからこそ思う日本の素晴らしさもたくさんあります。しかし冬の寒さや乾燥に耐える代償として得られる雪景色の美しさよりも、花粉症で涙と鼻水にまみれる代償として得られる春の暖かい日差しよりも、年間を通して同じペースで過ごすことができる南国生活の方が、アスペルガー人である僕にとっては数段快適なのです。

南国人がアスペルガー人に与える影響

南国、特に亜熱帯地方の人々は、基本的に食料に困らずに何万年も生きてきました。
雨が多く年間を通して気温が高いので、種をまけば植物は勝手に育ちますし、自ら種をまかなくても山に入れば自生している食物がたくさんあります。もちろん海や川に出ても食物は簡単に捕れます。水温が高いので防寒対策など全く必要ありません。

現代社会においては「カネ」が価値の中心になっていますが、古代の人にとってのそれは「食材」でした。
食は直接命にかかわる問題なので、古代の人々はそれを安定的に確保するために頭を使い、集団を形成し、文化を育み、政治を行ってきたと言っても過言ではありません。
簡単に「食」が得られる南国においては、細かすぎるルールも、複雑に階層化された組織も、考え抜かれた精密な道具も、民間レベルでは必要ありませんでした。環境に流されているだけで普通に生きていけたのです。

何万年もの間この環境下で培われてきたDNAは、現代人にも確実に刻み込まれています。
食を求めての努力が最小限で済んだ南国の人は、基本的に個人主義者が多く、ルールにがんじがらめに縛られることを嫌います。思考のプロセスは良くも悪くも単純で、感情に忠実な楽観主義者が多いように思います。

ここだけをとるとアスペルガー人の性質と似ているところもあるように見えますが、そのバックグラウンドが「ユルさ」である南国人と「カタさ」であるアスペルガー人とでは、性格として表に出てくるものは根本的に違います。

アスペルガー人がこの「ユルさ」の中に放り込まれると、まずは自分の感情の空回りっぷりが露呈して、心の行き場がなくなります。ゆっくりと波打つ湖の中心でバシャバシャ溺れているような感じです。
こちらがアウェーの立場なので、彼らの「ユルさ」にいくら気を揉んだところで何の意味もありません。むしろ空回りの振幅がより大きくなるだけです。
そして、それによる失敗体験を繰り返しながら、逆に色々な場面で彼らの「ユルさ」に助けられるようになり、次第に物事を堅苦しく考えすぎているのが馬鹿らしくなってきます。

こうしてアスペルガー人は「ユルさ」への感謝と諦めが混じったような形で、南国に順応していきます。自分に備わっていない「ユルさ」のメリットを身をもって知ることで、自分の思考に取り入れられるようになるのです。
これは、集団としての規律でがんじがらめに縛られた日本では、なかなか得ることのできない体験です。

このように、南国での社会生活そのものが「頭がカタすぎる」というアスペルガーの悪い部分の矯正に一役買ってくれています。
アスペルガーが完治することはないので「カタさ」がなくなるわけではありません。しかし南国の人は時としてユルすぎることがあるので、国際人としての常識を忘れないためにも、ある程度の「カタさ」が残っているくらいでちょうどいいのです。

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