アスペルガー人が輝ける場所とは /「置かれた場所で咲きなさい」by 渡辺和子氏

アスペの魂が震えた言葉集

「置かれた場所で咲きなさい」

この言葉は、カトリックの修道士でミッション系大学の理事長を務めた渡辺和子氏の著書のタイトルですが、もともとは、ラインホルド・ニーバーという人の詩の一節「Bloom where God has planted you」の引用です。

「自分の置かれた環境に不平不満ばかり言っていては、決して幸福にはなれませんよ」
「今いる場所をポジティヴに捉えて、そこで最大限のパフォーマンスをしましょうね」

というような意味の名言として、広く世間に知られています。

この本は2012年に刊行され、200万部を超えるベストセラーになっています。
この言葉が多くの人に受け入れられているというのは、僕にとっては正直ちょっと意外でした。
アスペルガー人が時々発しては嫌がられる類の「耳に痛いド正論」だからです。
実際に僕は、これに近い言葉を愚痴っぽい人に発して猛反発を食らったことがあります。言い方が悪かっただけかもしれませんが。。。

正論なだけに、この言葉には頷くしかありません。
「置かれた場所で咲く」という意識は「足るを知ること」にも「継続的な努力と忍耐」にもつながり、それらが身につけば人生はより豊かになります。
不平不満ばかりが先に立って居場所を転々とする人に、本物の安堵は決して訪れません。
隣の芝生は常に青く見えるものですし、不平不満が全くない環境などは存在しないのですから。

もちろん、ブラックな風土の会社やどうしても合わない人など、受け入れがたいものを無理に受け入れる必要はありません。そんな不本意な環境にとどまって自分を無駄に浪費する必要はないのです。

好き嫌いが激しくこだわりの強いアスペルガー人には「避けるべきこと」が幾つもあります。
僕もアスペルガー人なので、自分のためにも周囲のためにも、そういうものからは無理せずに距離を置くべきだと思っています。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に一言加えることが許されるなら、それは「自分の環境を自分で選ぶ余地がないなら」という前置きです。
これはアスペルガー人に限ったことではありませんが、輝く、つまり充実した毎日を送るには、自分を置く環境をいかにして選び、作り上げるかがとても重要になってきます。

アスペルガー人が輝ける環境には、ある原則が存在します。
自分の特性に真っ向から逆らうような環境を避けることが大前提となりますが、そのうえでその原則を意識し行動すれば、アスペルガーならではの「生き辛さ」を凌駕するほどの輝きを手に入れることさえできるのです。

アスペルガー人は「信頼感を与えてくれる人」になることを目指そう

これはアスペルガー人に限らず誰にでも共通することですが、人が輝ける場所とは、
「自分が必要とされている場所」
であるといえます。

他人の評価を基準にしていては自分を見失って幸せになれない、という意見もあろうかと思いますが、それは心の持ちようの問題であり、現実問題、それだけに拘っていては、社会人として、いち大人として、充実した生活は送れないのです。

必要とされる人とは「何かを与えてくれる人」のことです。

・愛を与えてくれる人
・楽しい時間を与えてくれる人
・安心感を与えてくれる人
・お金や物を与えてくれる人
・活力を与えてくれる人
・信頼感を与えてくれる人

他にも、誰かが必要としているものを与えてくれる人は、その誰かからは例外なく必要とされます。

しかし「愛」「楽しい時間」「安心感」「活力」などの「心に起因するもの」を人にコンスタントに与えることの難しさ、そしてそれを自分のペースを乱してまで与えようとした時のモヤモヤした自己不全感は、アスペルガー人であれば誰もが実感していることでしょう。

気持ちのやり取りが苦手で社会性にも対人スキルにも問題があるアスペルガー人の場合、単純に人間関係の中で「必要とされる存在」にのぼり詰めるのは並大抵のことではありません。
そこに可能性を見出せるのであれば、アスペルガーとしての生き辛さに悩まされることもないはずです。

そんなアスペルガー人が「必要とされる」ための一番の近道は「信頼感を与えてくれる人」になることです。

「信頼感を与える」とは、この人に任せておけば上手くいくと思ってもらうこと、そして、代わりがいないと思ってもらうことです。
そのためにフォーカスすべきことは、自分のこだわりが生かせる分野で自分のスキルを最高レベルまで磨き、人が求める結果を出すことです。

普通の人なら「愛嬌」や「人徳」や「献身」などである程度カバーできることを、それよりもマイペースが勝ってしまうアスペルガー人は「圧倒的なスキル」で補う必要があるのです。
もちろんこれを得るには血のにじむような努力と忍耐が必要ですが、アスペルガー人にとっては「心に起因するもの」を与え続けることよりも現実的なアプローチだといえます。

信頼感を与えることに成功して周りから必要とされれば、人もお金も機会も集まってきて、自分を置く環境を自分で作り上げる土壌ができあがります。
スティーブ・ジョブズやスティーヴン・スピルバーグなど、アスペルガーだと言われる成功者は、こうして社会の荒波をのぼり詰めていったのだろうな、と勝手に推測しています。

アスペルガー人が「輝くための場所」を探す時の基準

「一芸十年」と言われるくらいですから、何かのスキルを「信頼感を与えられる」レベルまで磨くためには途方もなく長い年月が必要で、その舞台となる場所は先に自分で選ばなければなりません。
とはいえ選択肢が多すぎる現代社会では迷ってしまう人も多くいると思います。
そんな時、アスペルガー人にとっての基準となるのが、
「シンプルな目標に向かって建設的に活動できる場」
であるかどうかです。

学校の運動部の世界を例に出すと分かりやすいかもしれません。
運動部の目的は「スポーツを通しての人間形成」ですが、その最終目標は「勝つこと」です。いたってシンプルで、そこに向かって建設的に毎日の練習に励みます。
もちろん勝つことが全てではないですし、その競技を楽しむことを主目的とする人もいるでしょう。しかし試合に出ればほとんどの人は勝ちたいと思うでしょうし、勝てば気持ちいいのは間違いないのではないでしょうか。

運動部の場合、どの競技でも、そこで最も輝いているのはその競技がうまい人、つまり勝利への信頼感を与えてくれる人です。
勝利への思いが強ければ強いほど、それをもたらしてくれる人を周囲は必要とします。
そしてよほど素行が悪くなければ、キャプテンは大抵チームで一番の実力者が選ばれます。
スポーツの世界では、ほとんどの場合「スキル」はその他のすべてを凌駕するのです。

もちろんこれは、学生スポーツという、とてもシンプルな世界の極端な例です。
これが実社会にそのまま当てはまるわけではありませんが、組織や業界の構造がシンプルであればあるほど、この状態に近づいていきます。
そして実社会において目標とされるのは、単純な勝利ではなく、社会や顧客への貢献と、富の獲得です。

アスペルガー人の場合、富の獲得を意識して居場所を選ぶべきではありません。そこは野心と欲が渦巻き、争いを避けては通れない、アスペルガー人が最も嫌いとする「多様な人間関係」にどっぷりと浸からなければならないフィールドだからです。
マイペースで人間嫌いのアスペルガー人がこのフィールドに乗ってしまうと、争いの中でますます人間が嫌いになり、最終的には潰れてしまう恐れすらあります。

想定外の事態への対処が苦手で、何事も単純化させたがる傾向の強いアスペルガー人は、大組織でのチームワークよりも、こじんまりとした所で黙々と自分の世界に没頭する方が性に合っています。
その過程で社会や顧客への貢献を目指す方が、心の安定を確保しやすいのです。

その代表格が、モノづくりの世界、また技術屋や職人の世界です。
職種としては、計画、研究、デザイン、設計、製作、エンジニアリング、プログラミングなどがあります。
芸術的センスを持つ人であれば、芸術家というのもいいと思います。先ほど例に出したスポーツの世界も同様です。

スキルを磨いて顧客満足や社会貢献の実績を積み上げていくことができれば、つまり組織や業界や顧客が求めるものをコンスタントに与えられる人になれれば、たとえ人付き合いが苦手でも、やがてその中で一目置かれる存在になっていきます。
そこで得られるのは「自信」です。
この時点ですでに「輝いている」と言えるでしょう。

実力主義の重要な注意点

もちろん、このような「実力主義」が、必ずしも多くの人に受け入れられる正しい考え方だとは思っていません。
人としての温かさからは程遠い、どこかドライな響きを持つ発想であることも分かっています。
しかしアスペルガーの特性を鑑みると、そこにフォーカスした方がマイペースやマイルールを維持しやすく、偏執的なこだわりも生かせるので、生きやすさの改善に少しでも近づくことができるのではないかと思うのです。

そして、この考え方には重要な注意点があります。

たとえ輝くことができたとしても、アスペルガー人は、社会性と対人スキルに問題があることを常に意識し謙虚であることを忘れてはならない、ということです。
人の気持ちを理解するのが苦手なアスペルガー人は、天狗になって周りが見えなくなると、普通の天狗とは比べ物にならないほど厄介です。

たくさんのものを与えられる人になれたとしても、それ以上に何かを奪う人であったら、せっかく積み上げた最高のスキルが水の泡になってしまいます。

アスペルガー人は、その特異な言動や行動で、無意識のうちに場の雰囲気を壊したり人の気分を害してしまうことがあります。
会うと気分が滅入るような人は、どんなに腕が良くてもまず相手にされません。
輝きを保ち続けるためにも、これだけは忘れないようにしましょう。

COMMENT

  1. 六川 より:

    こんにちは

    「置かれた場所で咲きなさい」
    確かにその通りですが、これは個々人の特性によりますね

    例えば、アスファルトを突き破ってでも咲いてくる雑草のような特質を持つ人達は、学生時代も社会に出てからも何をやっても一定の成果をが得られそうです
    理不尽な部活のシゴキに耐え、パラハラ上司やモラハラ先輩の洗礼も難なく通過し、根性・努力を自然と備えている人たち

    ただこう言うある意味偉大なる才能を持つ人々はあまり多くなく、一般の大多数の人は置かれた場所の状況や空気を読んで自分なりに工夫して咲くのだと思います。周りの人が青系の花を咲かせてるから自分も同じような色の花を咲かせようとか、与えられて肥料が自分に合わないから肥料の調合を少し変えてみようとかを教えられるまでもなくできてしまうのが大多数の人々

    一方、少数派であるアスペのような発達障害者は、好き勝手に花を咲かせてしまいがちで、みんなが青の花を咲かせるのに一人だけパステルカラーであったり、与えられた肥料は頑として使い続ける、もしくは体に悪い成分や匂いを発する添加剤などを好き勝手に入れて無意識のうちに周囲に迷惑をかけてしまい、結局は自分が咲くので精一杯で周囲に目配せできず、挙句の果てに自ら枯れ果ててしまうような人種

      「置かれた場所で咲きなさい」 とは、ただ咲けば良いのではなく、本来、咲き方・咲かせ方が重要であり、それを無意識にできる定型とできない発達、意識してようやくできるようになった発達はまだマシなのでしょう

    • じゅうたろうじゅうたろう より:

      こんにちは。コメントありがとうございます。

      僕は自分がアスペだと認識したのは1年ほど前のことですが、
      今までの人生を振り返ってみると、アスペの特性に殺されず逆に生かすのに適した選択を、無意識のうちにしてきたように思います。

      そのベースとなっているもののひとつが「置かれた場所でどう咲くか」への自分なりの答えである「実力主義」という考え方でした。
      一部のアスペの特性よろしく器用で何でもできたので、その考えに至りやすかったのだろうと思っています。

      自分勝手に生きているのに周囲の理解と協力は得たいと思っている僕が、
      それを得たうえで周囲に迎合することなく、無駄な軋轢や孤独や貧困を避けることができたのは、
      心を使うのが苦手な分、実力を磨くことで周囲から「必要だ」と思ってもらえた部分が大きいと感じています。

      もちろん若いころは「結果出してるんだから御意見無用」というおごりが強すぎて
      結果大きな反感を買って失敗するという苦い経験もしています。

      この考え方もやはりアスペらしく極端だなと、自分のことながら苦笑してしまいます。
      人徳や愛嬌などを交えてバランスがとれていれば可能性もさらに広がるのでしょうが、そこはまだ超えられないハードルです。

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