記憶に残るほど最高の瞑想ができた場所3選

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気になるコトモノ集

僕にとって、瞑想には2通りの目的があります。
ひとつは、運気の流れが良くない時や、考え事がありすぎて心に疲れを感じた時に、自分の中にある悪いものを放出して心をリセットするためです。
もうひとつは、何か神々しいものに出会った時や、訪れた場所でポジティヴな気を感じた時に、そこにある良いものを吸収して心を満たすためです。

これまでに様々な場所で瞑想をしてきましたが、何度もやっていると、極々まれに、記憶に残るほどの強烈な瞑想を体験することがあります。
そんな素晴らしい瞑想をさせてくれた場所を、今回は3つ紹介します。

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1. カーニャクマリの西の海岸(インド)

インド最南端の小さな街カーニャクマリ(Kanya Kumari)は、インドで唯一、海から太陽が昇って海に太陽が沈む特別な場所です。聖地として国内外から多くの巡礼者が訪れ、強力なパワースポットとしても知られています。

カーニャクマリに行く日、僕は朝から頭痛に悩まされていました。頭痛持ちの僕が普段発症するのとは違うタイプの痛みで、頭の左半分の内側にへばりつくような、気持ちの悪い頭痛でした。
マドゥライからの5時間ほどの車中、薬を飲んでもセルフマッサージをしても全く回復の兆しがなかったのですが、カーニャクマリの街に入った途端、どういうわけか頭痛がスッと消えました。

不思議な思いを抱えたままホテルをチェックインして、まもなく夕日を見に外に出ました。
瞑想については、夕日が最もよく見える西の海岸に行ってみて、気持ちのいい場所があったらやるつもりでした。
しかしそこに向かう途中、沈み始めた夕日を前に見ながら海岸線を歩いているうちに、だんだん自我が薄れていって、歩き瞑想状態になっていったのです。
思いがけない展開に始めこそ動揺しましたが、気がつくとその流れにただ身を任せていました。得体のしれない何かに包まれ、引っ張られているような不思議な感覚の中で、赤く染まった空の下を夕日に向かってゆっくりと一歩ずつ、噛みしめるように歩いていました。

その時の写真

海岸に着いて我に返った時、ただただ感動だけが胸を支配して言葉が出ませんでした。そしてしばらくの間、これから場所を探して瞑想する気など全く起こらないほどの強い余韻の中で、夕日が沈みきるのを見つめていました。

完全に自分の意志ではなく、何かに導かれるような瞑想でした。
カーニャクマリという場がもつパワーなのか、初めての場所で初めて見る風景への興奮がもたらした心理的作用なのか、悪かった体調の回復過程の影響なのか、理由はもちろんわかりませんが、突然引いた変な頭痛の謎も含めて、あんな強烈な体験は後にも先にもこれだけです。

2. ルワンウェリサーヤ大塔(アヌラーダプラ / スリランカ)

祈りの集まる場所というのは、人智を超えたパワーの集まる場所でもあります。
仏陀の骨や歯や髪などが納められているとされるストゥーパ(仏舎利塔)は仏教文化圏のいたるところにありますが、特に東南アジアを中心とする上座部仏教のものは円錐型に近いものが多く、ピラミッドパワーさながらの、天と地を結ぶアンテナのようなものを彷彿とさせます。
たくさんの人の小さな念をこの一点に集めて天に放出し、逆に天からのパワーをこの一点で受け止めて地に還元している、みたいな感じでしょうか。

ルワンウェリサーヤ大塔(Ruwanwelisaya Stupa)は、スリランカの古都アヌラーダプラにあるストゥーパで、この地域の信仰の中心地として、多くの仏教徒たちが祈りを捧げに集まってきます。
逆さまにした白いお椀の上に飾りを乗せたような、シンプルでかわいらしい形をしているのですが、実際に目の当たりにすると、ただただその量感と得体のしれないパワーに圧倒されます。

その時の写真

思い思いに祈り、瞑想し、お経を唱える人達がいる中で、そこに足を踏み入れておいて自分が瞑想をしない選択肢はありませんでした。
その場に座り、意識を塔に向けて目を閉じただけで、ここが何かのアンテナであることを全身で感じさせられます。そして雑念など瞬時に吹っ飛び、スッと瞑想状態に入っていきました。

スカッとするような気持ちのいい瞑想のあとは、半瞑想のような状態でストゥーパを数周歩いて回りました。
するとストゥーパ本体に額をつけて祈っている地元の人の真似をしてみたい衝動に駆られ、その状態のまま再度瞑想に突入しました。何かがガンガン体に入ってくるような、とてもパワフルな瞑想でした。

1か所で複数回連続で瞑想したくなってそれを実行するというのは、僕にとってはとても珍しいことです。
観光スポットに来て、観光するわけでもなくその場に居続けた、最長記録なのではないかと思います。

3. 曹洞禅宗 福王山 正覚寺(埼玉 / 日本)

埼玉県飯能市にある曹洞禅宗のお寺「正覚寺」は、一般人に泊りがけで座禅体験をさせてくれる、関東では数少ないお寺です。日本人だけでなく外国人も受け入れています(2019年現在) 。

このお寺の存在を知った時、 僕は迷わず2泊3日で申し込みました。
スマホの電源を切って、瞑想しかすることがない場所に身を置いて、一日中瞑想に没頭する、というのを一度してみたかったのです。

山の中腹にあるこのお寺は、観光地として人を呼べるほどの寺社建築や仏教芸術があるわけではありません。しかしそれが逆に功を奏して、手入れの行き届いた庭と、借景を生かした美しい風景が、静かで気持ちのいい空気を作り出していました。

住職と対面し、簡単なレクチャーを受けた後、最初の座禅が始まりました。
座禅は、僕の普段行う瞑想とは作法も成り立ちも違うものですが、宗教家ではない僕にとっては同じようなものです。もちろん素人を受け入れているお寺側もそこにこだわっていないので、僕ははじめから瞑想を存分に楽しむつもりで臨みました。
しかし初日は緊張からか、瞑想を楽しむまでには至りませんでした。
ここで終わっていたら、これは「記憶に残る瞑想」ではなく、だだの「座禅体験」になっていたところです。

強烈な瞑想体験は、食事や掃除や就寝を経て「そこでお世話になっている」という状況にも慣れ、住職とも小話ができるほどに打ち解けた2日目にやってきました。
2日目になると、勝手がわかった僕に住職はあえて指導はせず、説法の後、一緒になって座禅をしました。
昇る太陽の明るさや温かさや色に全神経を集中させるだけで十分に気持ちよかったのですが、それだけでは終わりませんでした。
一緒に座禅をしているプロ(住職)による「無」がじわじわと伝わってきて、僕もその「無」の境地に飲み込まれていったように感じたのです。
終わった時の爽快感は普通ではありませんでした。

その時の写真

住職との座禅は早朝と夕方の2回でその間は自由時間なので、僕は本来の目的通り、境内の中の適当な場所で一日中瞑想にふけることにしました。仏前、縁側、どこでやっても気持ちのいい瞑想はできたのですが、普段得られるような、穏やかな瞑想でした。
そして夕方、再び住職との座禅に臨んだのですが、その時も住職は細かい指導はせずに一緒に座禅をしました。
すると、早朝の時と同じあの感覚が再びやってきたのです。
昼間の瞑想で少し疲れていた僕は、 心底驚きました。

実際に座禅中の住職がどういう心理状態だったかは知る由もありませんが、僕の瞑想は明らかに住職の影響下にありました。 昼間一人でやった瞑想との満足感のあまりの差が、それを物語っています。
自分以外のものから影響を受ける瞑想が瞑想として正しいのかどうかはさておき、これも唯一無二の体験だったことは間違いありません。

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