アスペルガーと「霊感・第六感」の微妙な関係

アスペルガーの思考と生き様

アスペルガー人の中で、特にギフテッドと言われる人や感受性の強いタイプの人に、第六感や霊感を持つ人がいるといわれています。
しかしそのような人は、アスペルガーというだけでこのような特殊能力を手に入れているものなのでしょうか。

孤立型アスペルガーである僕は、昔から周囲の人に「霊感が強い」と言われてきました。
興味本位で占い師に見てもらえば「何か持っている」と言われ、宗教家の知人には「センスがある」と言われます。
仏教的な考え方をする人からは「輪廻を繰り返した古い魂の持ち主」と言われたこともあります。これは子供のころに祖父から言われたのが最初ですが、その後も祖父とは全く無関係の人たちからも同じようなことを言われてきました。
前世が見れるという人からは「あなたの後ろには人がたくさんいすぎて解説しきれない」と匙を投げられたこともあります。

若いころは、こういう話を聞くたびに「俺ってもしかしてスゴいんじゃないか」と奢ったものですが、アスペルガー症候群というものを知り、自分がそうだと自覚してから改めてこのことについて考えてみると、他人に霊感や第六感の存在を連想させるカラクリのようなものが、アスペルガーの数々の特性の中に見えてきたのです。

アスペルガーである僕が実際に感じている「霊的なもの」とは

対人関係や自己矛盾に生き辛さを抱え、コントロールの利かない感情の起伏に悩まされがちなアスペルガー人は、常に心の平穏を求めています。

同時に様々な失敗体験から自分の残念な対人スキルを自覚しているので、心の平穏を人間関係や社会的な立ち位置に求めることはせず、自分の心の内に見出そうとします。

このため、アスペルガー人には精神世界にのめり込む人も多くいるのですが、僕の場合は論理的思考と現実主義の傾向の方が強いので、不確実極まりない精神世界をかじってみても、説明のつかない矛盾ばかりが気になって、かえって混乱してしまいます。
なので、僕が心の平穏を求めるときは、
・芸術(心を満たす)
・瞑想(心を鎮める)
・思考と対話(何かしらの答えを見つけ出す)
の3つを通して得ようとする傾向があります。

僕は日本の田舎で育ち、現在はタイに住んでいるので、仏教の教えやものの考え方が自分の人格形成に大きく影響しています。
だから海外で宗教について尋ねられれば「自分は仏教徒だ」と答えますが、特に特定の宗教を信仰しているわけではありません。

占い師や宗教家の人たちが僕の中に何を見たのかはわかりませんが、僕自身、霊を見たことはないですし、虫の知らせや予知めいたものに動かされたこともありません。
霊感が強いという自覚は、昔は「あるかもしれない」と思ったこともありますが、今は「ない」と思っています。

ただ、窮地に陥った時に、何か不思議な引力によって助けられたと思わざるを得ない経験を何度もしているので、「自分をいい方向に導いてくれる何か」の存在を信じ、それへの感謝と敬いの気持ちは忘れないようにしています。それを先祖や他の人格に投影させて祈りを捧げることもあります。
それを「神」や「霊」や「ハイヤーセルフ」と表現する人もいますが、このような感覚は、自分の力しか信じない世間知らずの無神論者でなければ、誰もが持っている普遍的なものではないでしょうか。

つまり、霊感や第六感という点で言えば、孤立型アスペルガーである僕の能力は、周りが言うほど突出したものではない、いたって一般的なレベルだといえます。

ではなぜアスペルガーと第六感の関係性が指摘されたり、僕自身もそういう評価をされてきたのでしょう。
それは、スピリチュアルの世界にのめり込む人が多いのも一つの要因でしょうし、場の空気に敏感な「感受性」や、驚異的な観察眼と分析力がもたらす「カンの良さ」からくるものもあるでしょう。
そして何より、アスペルガー人には、良くも悪くも、他人から見たら「こいつ普通じゃない」と思わせる要素がいくつもあるからではないかと思います。

第六感や霊感を想起させる、アスペルガー人の物腰と立ち振る舞い

アスペルガーの特性からくる外見や言動は、それを知らない人からすれば、すんなりと理解できないものがたくさんあります。
一方で、人は理解できないものに遭遇した時、そこに人智を超えた何かを感じることがあります。

その関係性に深く関わっていそうな「人がアスペルガー人と接して感じるもの」と「アスペルガー人の現実」には、このようなギャップがあるように思います。

・人の心の内まで見えているような鋭い眼光

アスペルガー人は全てを見透かしているような深く冷めた目をしているので、状況によっては目だけで相手に余計なプレッシャーを与えてしまうことがあります。それは子供も大人も同じなので、特に子供がそんな目で大人を見据えた時は、ただならぬものを大人に感じさせます。

しかしこれは喜怒哀楽の感情表現が乏しいという特性からくるもので、実際は目が言うほど何かを分かっているわけではありません。

また周りの状況に関係なくどこか一点を見据えていることが多いので、その場にいる人に、何か見えないものと交信しているかのような空恐ろしさを抱かせてしまうことがあります。

しかしこれは、主に「人間嫌い」や「過集中」という特性による、自分が関心を向けているもの以外の情報を一切遮断している状態に過ぎないのです。

・思慮深く、真理を突くような端的な物言い

アスペルガー人は、物事を深く考えすぎるという特性から、あらゆるものに対して自論を持っています。それは、身の回りや世間で起こっている様々な事象についてはもちろんのこと、「命とは」「時間とは」「優しさとは」などの精神的・哲学的な分野にまで及びます。
しかもアスペルガー特有の「驚異的な分析力」と「超論理的思考」から導き出された自論なので、あながち的外れでなかったりします。的外れであっても、理論としては破綻のない、筋の通った内容であったりします。

それを直接的な言葉で断定的に表現するので、それを聞いている人の目には、思慮深く人生経験が豊富な人物に映ります。
人生経験が豊富でないことが明らかな子供であれば、宗教家の発想なら「魂の経験が豊富」ということになります。

しかし、現状維持バイアスが強く必要以上の人間関係を避ける傾向の強いアスペルガー人の人生経験は、人間関係が豊富な人のそれには遠く及びません。

実際は「疑問は解かずにはいられない」「考えだしたら無理矢理にでも答えを導き出さずにいられない」という思考の癖から生み出されたものであり、できることなら考える必要のないものをあれこれ考えたくないと思っています。

・他人と迎合しない孤高な雰囲気

独自の価値観をもって我が道を突き進むアスペルガー人は、精神的にブレのない芯の強さを持っており、その徹底の仕方は時として人間離れしたものすら感じさせます。
妙に落ち着き払った飄々とした立ち振る舞いで、周囲に迎合せず、一つの信念をもってストイックに突き進むその姿勢は、まさに孤高の修行僧そのものです。

しかしそれは「想定外のことに対応できない」というアスペルガーの最大級の弱点を補うための処世術のひとつです。
マイルール、マイペースを頑なに維持することで自分の行動や思考のパターンを単純化させて、あれこれ迷わないようにしているに過ぎません。
ブレないのではなく、ブレることができないのです。

実際は、時には他人と迎合し、臨機応変にブレてみたいと思っています。
孤高な雰囲気は、言わずもがな、対人スキルと社会性の低さからくるものです。

・特殊な感覚と、突発的で情動的な感情表現

アスペルガーの特性のひとつとして「感覚過敏」というものがあり、五感のどれかに何らかの過敏性や鈍麻性が出る人がいます。
僕の場合は、触覚過敏、共感覚、片頭痛、人酔いなどがあります。

触覚過敏とは、肌に触れるものに対する過敏性です。僕の場合、軽度ではありますが、密着性の高い服や腕時計などを身に着けると、ストレスを感じてしまいます。
また前髪が額に触れるのが嫌で、常に短髪です。

共感覚とは、脳のエラーによって「異なる感覚が同時に知覚される」という現象で、僕の場合、数字は色がついた状態で認識されています。1=白、2=桃、3=黄土、4=橙、5=青、6=茶、7=黄緑、8=深緑、9=黄、0=黒、といった具合です。
これは「見えないものが見えている」状態と言えるでしょう。
またおかしなことに、数字の「3」と「7」の区別がつかなくなることがあります。

幼少期はこのような「感覚過敏」が癇癪の原因になることもあり、僕も何度か癇癪を起して親を混乱させたことがあるそうです。
子供が癇癪を爆発させたときの勢いはすさまじく、普段の落ち着き払った雰囲気とのギャップも相まって、何か霊的なものを媒介しているのではないかと思わせてしまうのには十分だったそうです。

結論 / 良くも悪くも誤解を生みやすい

このように、アスペルガー人はいい意味でも悪い意味でも「普通とはちょっとズレている」ので、人によってはそこに人間以外の何かを見てしまうのかもしれません。
そういうものに敏感に反応して霊的なものと結び付けたがる「スピリチュアル系」の人たちにとっては、なおさらのことでしょう。

一部のアスペルガー人が持つ「研ぎ澄まされた感受性」を「第六感」と表現することもできるかもしれませんが、見えないものが見える霊的な能力というより、脳がキャッチする情報量が通常より多いだけのように思います。

もちろん本物の霊感や第六感を持つアスペルガー人もいるのかもしれませんが、結論としては、両者の直接的な関連性は薄いのではないでしょうか。
これが、アスペルガー当事者で霊感があると言われてきた僕の思う「アスペルガーと霊感・第六感」の微妙な関係です。

そもそも、霊的・第六感的なものは、見える見えないに関係なくそれぞれの人の心の内にあるもので、他人同士が同じ感覚を共有できるものではありません。つまり信じるか信じないかの世界なのです。
だから僕は、人が「見えている」というものに対しては肯定も否定もせず、「その人にとっては真実なんだろう」というフラットなスタンスでそれらを捉えています。
この無関心ともいえる考え方が、逆に霊的な悪い影響を受けない一つの要因になっている、という意見をいただいたこともあり、これも一理あるなと思っています。

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